ブランドの達人・序文 1.
新・マーケティング原点主義 1.
昨日見たテレビコマーシャル、何か覚えていますか?
芥川龍之介は「侏儒の言葉」の中で、「歯科医の看板にしても、それが我々の眼には いるのは看板の存在そのものよりも、看板のあることを欲する心、――ひいては我々 の歯痛ではないか?」と言っている。 歯痛でない人にいくら歯医者の看板を見せても、記憶には残らない。ましてや、看板 があふれかえっていれば、目にも入ってこないというわけだ。
芥川に言わせれば、「欲する心」を理解した上でマーケティングをしなければいけな いということだろう。
TV広告業界用語に「F1層」*という言葉がある。 「20歳~35歳までの女性」を意味す る言葉だそうだ。「F1層」に向けてマーケティング? 僕は、会ったこともない「20歳 ~35歳までの女性」に(「欲する心」を予想して)、何をプレゼントすればその女性を 口説けるのか、残念ながら見当もつかない。今年の初め、3万人に「好きなブランド」 を聞いたところ、2人以上が答えたものだけで1万種類以上のブランド名が出てきた。 「20歳~35歳までの女性」が、どんなブランドが好きなのかを当てるなんて、競馬の 万馬券を当てるほうがずっとやさしそうだ。「F1層」なんて言葉を使うマーケッターが いたら、とにかく信用しないのが賢明そうだ。
*ユーザを年齢と男女から、ティーン層/F1層/F2層/F3層/M1層/M2層/M3層 に分けること。
マーケティング理論の第一人者であるフィリップ・コトラー教授は、2003年ニューヨー クで開かれた広告セミナーで、「テレビ広告はお金を無駄にすることが多い」と断言 した。芥川が生きた80年前と比べものにならないほど、「欲する心」(嗜好)が多様と なった現在、そして、「看板」どころではなく情報があらゆる媒体を通して嵐のように 降ってくる現在、マスコミュニケーションにどれほどの投資対効果があるだろうか? ということなのだろう。
現在、情報はあふれ、欲しない情報への認知は、すぐに忘却されるのだ。
では、今、マーケティングはどうあるべきなのか?その答えを探すヒントとして、生産 システムの変化について見てみよう。
トヨタは、なぜ無敵か?
カンバン方式の生みの親である大野耐一は、かつて、トヨタの成功について競馬の 賭けにたとえ、「すべての賭けに必ず勝つシステム」と説明した。トヨタは、1992年末 には、色、内装、オプションといったものまで考慮すれば、100万種以上のクルマを生産できた。92年のある1ヶ月間、トヨタは、4万種のクルマを20万台販売した。大量生 産メーカーにして、多品種生産メーカーである。ということは、トヨタは、100万種の選 択肢から、毎月約20万回賭けに勝っているわけである。トヨタはこれを、予測を立て ることによる計画生産ではなく、顧客が注文を出し、その注文に合わせて生産するこ とを可能にして、実現している。
「すべての賭けに必ず勝つシステム」とは、馬がゴールインした瞬間に賭けを張る ことなのである。トヨタは、昨日の顧客と今日の顧客が、全く違っていても、今日の 顧客の注文をいち早く知り、それを生産することで、すべての賭けに勝ったのだ。