コンセプト

国家戦略としての文化 1.

国家戦略としての文化 1.

1位:ドラゴンボール
6位:ファイナルファンタジー
7位:ポケモン

「日本は文明国だが、文化国家ではない。日本は現在、文化創造において貧しく、今後、文化創造が重要である。」 と、あるエリート大学の教授が発言していた。 甚だ恥ずかしい。

文化が豊かであることは、国家としてとても重要である。
日本以外の知識人はそのことを理由とともに十分熟知している。

そして、文化を国家戦略として認識し、もっとも成功した国がアメリカである。
なぜ、アメリカの食べ物を、つまり、世界中の子供達 が、笑顔であのハンバーガーをほおばれるのか? なぜ、作業着でしかなかったジーンズに世界中が狂喜できるのか?不思議に思わないであろうか?

アメリカは映画を使い、アメリカの理想的なライフスタイルや価値観を垂れ流し続けたのだ。ファッション業界、清涼飲料やファーストフード産業、音楽産業、ほとんど全ての産業はハリウッド映画の恩恵を受けて世界産業になった。

ハリウッド映画を見ることによって、そのストーリーに引き込まれ、主人公に憧れる。そして自己投影し、自らが主人公になることを願う。主人公がクールにバイクにまたがっていたら、たとえそれが壊れやすく、ガソリンを垂れ流すようなポンコツであったとしても乗りまわしたくなるだろう。
そして、主人公は必ず美男美女で、アメリカ人がカッコいいというイメージを、基本的な価値観という地位にまで押し上げることに成功した。

映画を大量に生産するためのハリウッドを作るだけでは気が済まないアメリカは、同時に評価団体までも自らの手で作ってしまった。
アカデミーである。アカデミーは、アメリカの映画がとても素晴らしいモノであると世界に国をあげて評価し続けた。

メディア・インペリアリズム(情報帝国主義)。アメリカは、映画産業という文化の輸出システムを手に入れた。
文化を輸出するということは、そこについてくるライフスタイルや価値観、美意識を輸出することに等しい。

ハリウッドによって、"Made in U.S.A"はブランドとなり、アメリカ産業は、圧倒的地位を得たのである。アメリカ政府が兵器輸出と並んでハリウッド映画を国家戦略産業と位置づけているのは、このためである。

少し余談であるが、歴史上、テクノロジの歴史は兵器の歴史であった。
そして、新しいテクノロジをもった人々は圧倒的な強さを誇った。鉄器を独占したヒッタイトであったり、鉄砲を手に入れた織田信長であったりと。

しかし、武力による力だけでは、多民族を平定することはできない。精神的な力が必要である。歴史上、兵器と宗教はワンセットであった。新しい兵器によって、攻め、その後、布教する。西洋は、そのようにして、歴史上、勝者であり続けた。

これは、日本人以外は、当然のように認識していることである。
メイドインジャパンではないゲームで、珍しく世界中で大ヒットしたゲームがある。マイクロソフトのエイジ オブ エンパイアという、歴史上の民族間で占領しあうゲームだ。
そのゲームでは、最先端テクノジの戦車団よりも、一人の宣教師の方が強力だったりする。これは、国家戦略として、アメリカが最先端兵器と同様に、精神的なものが重要であると認識している証拠であり、世界中でヒットしたということは、そのことが当然であると認識されている証拠である。

日本のその手のゲームでは決して考えられない設定であろう。最先端戦車団が、一人の宣教師に負けるなんて…

現代、人間も少しは賢くなったのか、兵器が強力すぎて使えたくなったのかはわからないが、最先端テクノロジは、産業に使われるようになった。
決して忘れてはいけないことだが、日本が今、暮らしていけるのは、最先端テクノロジを駆使した製品が世界中で売れているからである。