コンセプト

国家戦略としての文化 2.

国家戦略としての文化 2.

さて、ここで、冒頭の発言に戻る。国家において、文化が重要であることは明白であろう。言いたいことは「日本が文化創造において貧しいのか?」ということである。
現在、日本は文化創造において、圧倒的力で驀進しているのだ。

冒頭のランキングは何であろうか? 大手検索サイトに、キーワードトップ50というその週最も検索されたキーワードのランキングがある。冒頭のランキングは、アメリカ国内におけるそれである(2001年6/1現在)。
1年以上前に見たときも、ポケモンが1位で、ドラゴンボールが3位であった。
アメリカの知識人と政府がメディアを通じて、ハリウッドを宣伝し続けているのにも関わらず、そして、それとは反対に日本の政府と知識人とマスメディアが、ジャパンコンテンツの圧倒的勢いを無視し続けているのにも関わらず、そのアメリカにおいてさえ、日本カルチャーは、圧倒的な人気なのである。

フランスが100年以上前に映画という新しい文化種を産み出して以来初めて、日本は、マンガとゲームという新しい文化種を二つも創造したのである。
そして今、日本は文化大国であり、世界で最も文化を創造している国である(ここで言う「最も」とは、絶対的に1番優れているというのではなく、新たな文化を創りあげ、その新たな文化が世界中で最も影響を与え、最も熱狂させているというデータ的事実である)。
(米国において「ゲーム産業は、まもなく総売上で映画産業を上回ると予想されるという調査結果が発表された。」2001年5月18日 wired news)

では、なぜ、我々にそのような自信も自覚もないのだろうか。

ここで、1つの例を挙げたい。腕時計において、この20年で新しいスタイルの提案を世界中に与えることができたのは、「スウォッチ」(スイス)と「Gショック」(日本、カシオ)だけである。
「スウォッチ」は、国を挙げての製品であり、国を挙げて世界中に宣伝し、成功を収めた。
一方、「Gショック」は、日本製品にもかかわらず、国内では全く評価されず、海外で人気を得、その人気を国内に逆輸入して初めて受け入れられた。そこには、海外での評価こそが日本国内での評価を左右するという事実が存在する。

このことが示していることは、我々が作り上げたすばらしい文化を我々自身が気付いていないことであ る。日本人全体が悪いのではない。
評価すべき地位に位置している人間の無能さや、程度の低さを問いたい。

我々は、スターウォーズよりも、ドラゴンボールやマリオに熱狂した時間の方が圧倒的に多い。
それなのに、なぜに我々は「ジョージ ルーカス」の名前は知っているのに「マリオ」をはじめ、全く新しい文化を創造し続け、世界中に熱狂を与え続ける「宮本茂」の名前を知らない(20年前、同じく世界中を熱狂さしたビートルズのポールマッカトニーはわざわざ京都まで彼に会いに行ったらしいが)。

なぜ、世界中が、いまだに熱狂し続けるマンガを創造した鳥山明にまるでリスペクトがない?

その原因の一つとして、評価する者の価値観の薄弱さが挙げられるだろう。すでに様々な洗脳を受けた彼等は、権威主義的に会得した価値観を、さも自らが作り上げたかのように振る舞う。
彼等の価値観を裏付けたのは、文化を輸出し続けたアメリカの権威であり、外国人に対する根強いコンプレックスである。

結果、彼等をお手本とする一般大衆の価値観までもが、純粋に「素晴らしいもの」に目を向ける機会を損なってしまっている。