コンセプト

国家戦略としての文化 3.

国家戦略としての文化 3.

国家と産業にとって、文化は、とてつもなく重要である。そして、輸出できる文化レベルも高い。 しかし、この2つともを日本人は気付いていない。これは、やはり、言論として発言力を持つ、もしくは、方向性を与えることのできるエリートや知識人といわれる人々の責任であろう。

ビートルズが世界中を熱狂させたとき、そのことでイギリス国民の誇りを取り戻す夢を与えてくれた彼らに素早く勲章を与えたイギリス政府はやはり偉いし、100年前に映画が生まれた時、いち早く新しい文化だと認識したフランスの知識人には先見の明がある。

我が国は、国をあげて、マンガやゲームが映画や書籍よりも圧倒的であることを隠し続けているのに比べると、国をあげてハリウッド映画を賞賛し、輸出する行為は日本のエリートよりだいぶ戦略的に見える。

国をあげて宣伝していないのにも関わらず、そのすばらしさから自然に世界中で受け入れられつつあるマンガの影響で黒髪や日本語や日本文化に憧れる人々も多く出てきた。そして、マンガのすばらしさに気付き恐れた(と思うのだが)アメリカは今多くの日本のマンガ(やアニメ、特撮)の版権を買っている。そして、そのおもしろさは損なわないようにして、主人公をアメリカ人にし、上辺だけをアメリカ文化にし、アメリカ産業の優位を守ろうとしているのだ。
彼等はマンガやゲームというものを「子供の娯楽」として、文化的価値が低いと思い込んでいるのだろうか?

今や、子供のみならず世界中の全ての世代が熱狂する日本のゲームとマンガを文化的視野から疎外することは愚行にすぎない。

もし、彼等の望む「勝利」が映画のような、既に使い古され熟知された既存のシステムにおいてのみもたらされるのであれば、彼等は看板を取り払うべきである。今や素晴らしきアーティストたちと日本独特の文化によって、日本こそが世界の「憧れ」となる時代の訪れの足音が聞こえない者こそ去るべきである。

夏目漱石の作品を世界の誰が知っている?

黒澤明の映画は、確かに映画というジャンルで、世界トップに追いついた。しかし、マンガとゲームを作って来た人々は、全く新しい文化種をつくりあげ、映画よりも世界中を熱狂させている。
そんなすばらしいものを作っている人達でさえ、すばらしいものを作っている自覚も自信もない。ちょっと、手をさしのべて自信をつけてやればよいのに。

エリートとは、知識人とは、何故必要なのか? エリートとはその国を豊かにしようと奮起し、知識人とは、その国の国民に誇りを与える物事や人々にいち早く気付き、賞賛を与える人達ではないのか?
その彼等にこそ、本当に評価すべきものが何なのかを見極める目を持って欲しい。

日本の知識人とエリートは、日本産業を文化によって、後押しする最高のチャンスに気付かず、そして、自らの手で外国の真似ではない独自の新しい文化を一生懸命創造している若者にエールを送るどころか、 その行為にも目を向けず、そして、我々が失っている日本人としての誇りを取り戻す好機にも気が付いていない。

日本の知識人とエリートを恥じつつ、手塚治虫から始まったマンガ家達と、ファミコン時代を築いたゲームクリエイタと、それを支えた子供達に敬意を払いたい。

team☆Lab 代表取締役
猪子寿之