MEDIA

2014.09.26

「GQ JAPAN」(2014年11月号)で、チームラボ猪子の連載。

連載「日本、アジア、そして21世紀 拡大版」
第十五回「人はいつから花とともに生きているか」


チームラボの代表・猪子寿之が、変わりゆくメディア環境を思索する人気連載。今回は、人と花の関係で考えた「搾取」と「共生」のお話。



人はいつから花とともに生きているのでしょうか。

ゴッホの「ひまわり」や、ウォーホルの「Flowers」、そして村上隆や草間弥生草間彌生、マイケル・リン、チェ・ジョンファなど、世界中のアーティストは、花をモチーフに作品を作っています。日本は、古来よりほとんどと言っていいほど多くの画家が花を描いています。


チームラボも、アート作品に花が良よく出てきます。作品のタイトルに花という言葉が入っていることも多いです。よく、どうして作品に花をよく使うのかと聞かれるので、今回は、花についての話をしたいと思います。

もちろん、花は美の象徴です。

また、花が咲き散るさまに、生への賛歌と死のはかなさを感じます。特に、日本の人は、むかしから、うつろうものや、はかないものへに美しさを感じていたので、桜や娑羅双樹など、散るさまが美しい花に特別な美しさを感じているふしがあります。何にしろ、花は、生と死の象徴でもあります。

そして、花は共生の象徴でもあるのです。


シダ植物から、杉やヒノキのような、いわゆる花や果実をつけない(学術的には花と呼ばれる生殖器官がある)裸子植物へと進化した植物は、太陽と栄養を求め、より高くより深くと進化していきました。個体として、他者より高い場所に葉を茂らせ、より深く広く根を広げた方が、生存確率が上がるからです。

しかし、もっとも最後に登場した被子植物は、自分の高さと深さを捨ててまで、花を咲かせ果実をつけることにしたのです。花や果実をつけるためには莫大なエネルギーを使うため、個体として自分に使えるエネルギーが減るのです。実際、直感的に、花や果物をつける草木で高くそびえ立つ木をあまり見ないですよね。そして、簡単に育てやすい観葉植物などにも花や果実をつけるものは少ないですよね。花や果実とは自分自身のためのものではなく、他者のためのエネルギーの塊なのです。

つまり、花や果実をつける被子植物は、自分自身の強さのため、つまり他者に個体として勝つためではなく、他者からより選ばれるために進化したのです。


花とミツバチに代表される花と昆虫の共生関係はあまりにも多様で、例えば、いちじく(いちじくの実は、果実ではなく花の集まりである)と、イチジクコバチは、非常に強い共生関係を持っています。イチジクコバチのメスは、花粉を運び、いちじくの中に潜り、いちじくの花に受粉し、産卵し、いちじくの中で死んでいく。幼虫はいちじくの中でいちじくを食べて成長し、オスは成虫になると、いちじくの中でメスと交尾をし、メスが外界に飛び立つ穴を開け、一回も外に出ることなく死んでいきます。交尾後メスは、花粉を携え、オスが開けてくれた穴から、新たないちじくに受粉と産卵をしに飛び立つのです。イチジクコバチにとっていちじくという花は、ゆりかごであり、ラブホテルであり、そして、墓場でもあるのです。いちじくとイチジクコバチは互いが互いのために特異に進化していったのです。


昆虫に限らず、鳥類や哺乳類も花粉の運び手として大きな役割を果たしています。鳥類は700種以上が花の蜜を主食にしていて、約2000種が花粉の運び手となっていると言われています。

個体として他者よりも強くなることをあきらめるどころか、もはや種として単独では繁栄すら不可能になり、他者からより選ばれることを選び、多くのものを巻き込んだ結果、現存する裸子植物が約800種程度であるのに比べ、後から登場した被子植物は、現存するものが25万種を超え、未記載種を合わると30~35万と推定されるほど、圧倒的な多様性を生みながら世界中で繁栄したのです。


人にとって花は、主な食べ物にもならず、衣服の素材になることもなく、家や道具を作るのにも使うことができません。

そのようないわば無用な花を、人が人になった時から、人はなぜこんなにも好み、愛でるのでしょうか?


そう、人もまた、花との共生関係を選んだ種なのです。花とミツバチのような生存的な共生関係ではなく、言うならば、文化的な共生関係を結んだのです。人が人になる前は、おそらく、現存する猿がそうであるように、野生の動植物の狩猟や採集を行って生活していたと思うのです。そして、それは自然からの単なる搾取なのです。人になる前の種が、ある日、花を愛し、花との共生関係を選んだからこそ、文化的な発展を伴う、所謂人となったとも言えるのです。そして繁栄したのです。大げさな話かもしれませんが、人という種が何度も過ちを犯し自然を破壊しつくそうとした時に、当時の知では合理的な理解を超えて、なんとか自然を守りきったのも、人が花との共生関係を選んだ種だったからのような気がするのです。


そう、人にとって花とは、人が人である所以であり、人間が知による合理的な判断を超越した判断を生むことによって、人間が自ら絶滅することを防いだ守り神とも言えるのです。

そして、人が、花との共生関係を選んだ種だからこそ、人は、アートをこよなく愛するのです。愛すること意外以外、何の役にも立たないアートを愛すのです。アートとは、人という種が花との共生関係を選んだからこそ生まれた、花の象徴なのです。

そして、花も人と共生関係を結んだからこそ、都市には、今日も花が咲いているのです。

GQ JAPAN(2014年11月号/コンデナストジャパン)
2014年9月24日(水)

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