MEDIA

2013.09.24

「GQ JAPAN」(2013年11月号)で、チームラボ猪子の連載。第三回は「グローバル化は、英語化じゃなくて、非言語化!」。

連載「日本、アジア、そして21世紀」
第三回「グローバル化は、英語化じゃなくて、非言語化!」


ウルトラテクノロジスト集団「チームラボ」の代表・猪子寿之が、変わりゆくメディア環境のなかのアジアと日本をめぐって思索する新連載。第3回目の今回は、非言語的コミュニケーションの可能性について。



グローバル社会は英語だ、グローバル化するためには英語が重要だ、みたいなことが昨今よく言われている。日本企業も、英語を社内の公用語にするなんて企業も出てきている。

一方で、世界の一部のグローバル企業は逆に、英語ではなくて、非言語化を重要視している気がしている。


マスメディアが中心メディアだったころは、メディアは国家ごとに完全に切り分かれていたが、ネットが中心的なメディアになり、Youtubeの動画をFacebookで共有するような時代では、本当に国境が意味がなくなった。企業や、国家が、プロモーションしたり、ブランディングしたりするときに、これまでのように、市場を国ごとに分け、国ごとに、コンテンツを創るよりも、グローバルに対して、ワンコンテンツで勝負してった方が、圧倒的に有利なのだ。例えば、A社とB社があったとして、20ヶ国にプロモーションしたとする。A社が各国ごとに1億かけてコンテンツを作り、20カ国で結果的に20億使ったとする。それに対して、B社は20億を1つコンテンツにつぎ込んで、そして、非言語なコンテンツを作ったとする。YoutubeやFacebookなどのプラットフォームには国境が一切ないので、コンテンツが非言語であれば、一切の国の区別がなくなり、結局、ユーザーが、『すげー!』と友達に伝えたくなるものが世界中でシェアされ共有されていく。1億かけて作られたローカルコンテンツよりも、20億つぎ込んで作ったすげーコンテンツが結局シェアされ、見られることになる。チームラボの若いメンバーに聞くと、最近触れたり、見たりしている動画の半分以上は、気がつけば、結果的に海外のコンテンツだと言う。メディアが国家ごとに切り分けられていたネット以前だと、ユーザーが触れるコンテンツのほぼ100%ローカルコンテンツだったと思うと、考えられないほどの変化だ。


結局は、企業の消費者のコミュニケーションにおいて、その企業が、グローバルであろうがなかろうが、グローバルを望もうが望まなかろうが、急激にグローバルの競争にさらされているのだ。


YoutubeとFacebookを駆使して、グローバルに対してワンコンテンツ、非言語で、結果的にシェアされていくグローバル企業。国内のマスメディアに最適化されたコンテンツがゆえに、グローバルでは全く価値がなく、結果的にコストにかけられるコストが分散し、国内でも、結果的にグローバル化されたコンテンツに負けていく日本、、、と、僕は嘆いていました。


ところが、この間、とあるアジアの国にいったときに、あるアメリカ人が面白いことを言っていた。日本で半年間生活していたのだけど、いっさい日本語が分からなくても、まったく生活が困らなかった。今住んでいるこの国だと、この国の言葉がわからないと生活に非常に困るというのだ。日本人が英語が苦手なのは有名な話だ。そして、その国は、日本より英語ができることで有名だ。それなのに、日本の方が、生活がしやすいと言う。英語が事実上公用語になっているような国以外では、その国の言葉がわからない場合、日本は圧倒的に生活がしやすいんだと言う。あまりにも、驚愕して、なんでかと聞いたら、日本は、しゃべらなくても生活ができるからだと言う。


こんなにしゃべらなくても生活できる国はないらしい。レストランに入れば、メニューは全て写真が載っているし、定員呼ぶ時は、ボタンで呼ぶし、レジでは、数字でちゃんと表示される。レストラン入って、帰るまで一言もしゃべらなくても、全く問題ないらしい。

たしかに、アメリカやイギリスで生活していて、もし英語が話せなかったらと想像すると、ぞっとする。 


もしかしたら、日本は、非言語文化が発達していて、それは、世界の中で、非常に、競争力があるかもしれないのだ。歴史を紐解けば、能や、絵巻物語、そして、マンガ。非常に非言語的な文化が発達している。そして、日本の非言語的な文化が世界では競争力があるのだ。そう、非言語な表現は、実は日本の強みなのだ。そして、気付いていなかったけれど、非言語な文化が強くあったため、気がついたら、街が、言葉がわからなくても、生活しやすいという非言語な街に発達したのではないかと思う。


実は、日本は、人口当たりの絵が描ける人の量も質も、実は、圧倒的世界一なのである。


いくら、教育したところで、いっこうに国民のほとんどがしゃべれない英語教育の時間を増やすくらいなら、日本は、英語の変わりに非言語表現の教育の時間をつくるべきなのだ。これからの企業もグローバル人材とは、実は、そういう人材だと思うのだ。

そして、国は、公共の場所にある全てのテキストを廃止し、非言語表現にトライすべきだ。どう考えても、国民全員が英語をしゃべれるようにならないし、世界中の人々が英語をしゃべれるようになるわけでもないんだから、世界でもっとも非言語で生活できる都市を目指した方が良い。そうすれば、世界中の人々にとって、とても居心地の良い都市になるだろう。それに、まあ、何せ、東京の都市にいる人が全員英語がしゃべれるようになって、「はい、グローバル都市ですよ。観光客来てください。」なんて、目指すより、全部が非言語に理解できる都市になる方が、圧倒的にずっと、ずっと、ずっと、ロマンチックだ!!


GQ JAPAN(2013年11月号/コンデナストジャパン)
2013年9月24日(火)
 

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