MEDIA

2013.11.22

「GQ JAPAN」(2014年1月号)で、チームラボ猪子の連載「ビジネスは、すべてがテクノロジーとなり、そして、すべてがアートであった時のみ、生き残っていく(前編)」

連載「日本、アジア、そして21世紀」
第五回「ビジネスは、すべてがテクノロジーとなり、そして、すべてがアートであった時のみ、生き残っていく(前編)」


ウルトラテクノロジスト集団「チームラボ」の代表・猪子寿之が、変わりゆくメディア環境のなかのアジアと日本をめぐって思索する人気連載。第5回の今回は、あらゆるところにデジタルテクノロジーが浸透する理由について。



スマートフォンは、電話や携帯の延長上ではなくて、パソコンの延長上、もっと言うとデジタル領域にこそ全ての価値があるという前提のネットワーク端末の延長上に生まれたデバイスです。事実、iPhoneとiPod touchは、ほぼ同じ仕様で同じデザインで世に出たし、iPadもiPhoneを単に大きくしただけで、ほぼ同じ仕様、同じデザインで世に出ました。デジタル領域にアクセスするためのデザインであって、電話するためのプロダクトと考えていたら、どう考えても生まれ得ないデザインです。


それはどういうことなのでしょうか。


今は、情報社会に突入しています。情報社会とは、世界がネットワークに覆われ、デジタル領域がすべての領域を革新させていく時代です。


では、デジタルとは、何だろう? 


人間にとっては、もともと、ほとんどのことは、情報でしかなかったのです。デジタルとは、その情報が、媒介する物理的な物質から解放され、情報が情報として、それ単独で存在できるようになったということなのです。デジタルになる前は、つまり、アナログの時は、情報が物理的な物質を媒体としないと存在できなかったのです。


例えば、人間にとっては、絵は、単なる情報でしかないのですが、情報を情報単独で存在させられなかったから、しょうがなく、油絵具とか、キャンバスという物質を媒体として存在していたわけです。もっとわかりやすく言うと、音楽は、ただの情報です。情報として単独で存在できなかったから、レコードにして存在せしめたのです。それが、デジタルになった瞬間、情報単独として存在できるようになりました。


情報の固まりが単独として存在できる。で、すべての領域においてそうなっていくのです。たとえば店舗っていうのは物質の固まりですよね?それがオンラインショッピングサイトという単なる情報の固まりとして存在できるようになりました。つまり、情報がそれ単体として存在できるようになるから、ジャンルの境界線がなくなってしまうのです。


みんな、テクノロジーとかデザインとかアートとかを切り分けています。それは、最終的にいろいろな物質が媒介して存在するから、物質のせいで、境界線があって、なんかジャンルみたいなものが出来上がっていたのです。でも、情報が単独として存在できるようになると、切り分けていた境界線がなくなってしまうのです。例えば、「iPhoneは、デザインが革新だった」とかって言いますが、それはほとんどインターフェイスの話で、それは情報の固まりでしかないです。そして、デザインとテクノロジーを分けて考えられない領域です。


情報社会が来て、デジタル領域が、すべての産業に浸食していくと、すべての産業は、デジタルテクノロジーの固まりみたいなものになっていきます。もしくは、すっごい保守的に言って、デジタルテクノロジーと切っても切り離せない領域になっていきます。そうなると、すべての産業区分がなくなっていくのです。例えば、小売業はもともとテクノロジーと無関係なビジネスでした。土地買って、建物建てて、人を雇って、売らせて。 それがデジタルテクノロジーの固まりみたいなアマゾンと競合するようになっています。広告産業だって、むかしはテクノロジーとまったく無関係な産業でした。でも、ふと気づいたら世界でいちばん広告を扱っているのはグーグルになっていて、それはもうデジタルテクノロジーの固まりみたいなものです。


電機メーカーが、ウォークマンみたいな音楽再生プレーヤーを売っていましたが、気づいたら、デジタルテクノロジーの会社のアップルが音楽プレーヤーを出し、スマートフォンが出た瞬間、単なるソフトウェアとなり、音楽プレーヤーという存在そのものが消滅しそうです。ケータイも電機メーカーが出していたけれども、気づいたらデジタルテクノロジーの産業、アップルとかグーグルとかが中心になりました。そんな感じで、これまでのすべての産業区分が無意味化するし、すべてがデジタルテクノロジーの固まりみたいに、もしくは、デジタルテクノロジーと切っても切り離せないものになっていくのです。


すべては情報でしかなく、僕たち人間は肉体が物理世界にある。その僕たち人間と情報との間に、インターフェイスとして、しょうがなくあるものとして、ものを捉えた方がいい。もの作りの日本、とかよく言うけれども、“もの”に頼るのをやめて、デジタルから考えて、しょうがなく残ってしまうものという前提の元に、ものをつくっていった方がいいのかもしれません。iPhoneというプロダクトもそういう考えから生まれた。つまり、デジタル領域に価値があるから、物理世界には、デジタル領域にアクセスするための窓だけあればいい。そういう思想から生まれたプロダクトだと思うのです。(つづく)





GQ JAPAN(2014年1月号/コンデナストジャパン)
2013年11月22日(金)


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